カオス共振器レーザに関する研究(1995年~現在)

1.はじめに
 本研究は,1995年にスタンフォード大学ギンズトン研究所のSiegman教授の研究グループを客員研究員(Visiting Scholar)として訪問したことを機に始めた研究テーマであり,その後,株式会社国際電気通信基礎技術研究所,マックスプランク研究所,パデュー大学,NTTコミュニケーション科学基礎研究所の研究者の方々と研究を進めて来た.以下に代表的な研究内容を紹介する.

2.擬似スタジアム型カオス共振器レーザの発振特性
 スタジアム形(競技場形)の箱の中に閉じ込められた古典的な粒子の運動を考えると,図1の左の図に示すように繰返し同じ道筋をたどる周期軌道が存在する.しかしながら,これらの周期軌道は擾乱に対して極めて不安定であり,ほんの僅かでも周期軌道から粒子が逸れると,たちまち図1の右の図に示すカオス軌道を辿ることになる.一方,量子力学では,波動関数の絶対値の2乗が粒子の存在確率を表すと考えられている.古典力学における粒子のカオス的な振舞が量子力学の系にどのように刻印されるのかという問題は,量子カオスと呼ばれる物理学の分野において古くから興味が持たれて来た[1].ここで,粒子を閉じ込める箱を光の共振器,粒子の軌道を光線の軌道に置き換えると,古典と量子の対応問題は,光線と波動の対応問題に置き換えることができる.

図1 スタジアム形の箱に閉じ込められた粒子の軌道.

 このような類似性に注目したスタンフォード大学のSiegman教授の研究グループでは,図2に示す擬似スタジアム型半導体レーザを製作して発振特性を評価した.ここでは,1995年11月から1996年2月まで客員研究員としてスタンフォード大学の研究グループに加わり,素子特性の評価と発振モードの解析を行った結果について紹介する[2,3].

図2 擬似スタジアム型半導体レーザの模式図.

 図3に擬似スタジアム型半導体レーザの発振特性を測定した結果を示す.電流-光出力特性にレーザ発振を表すしきい値が見られ,スペクトルにも鋭いピークが見られた.また,右の図は,レンズとCCDカメラを用いて,レーザ端面から出力されるビームのパターン(近視野像)を観測した結果を示している.図中の数値は,端面から像までの距離を表している.平面ミラーから放射されたビームには細かい干渉パターンが見られるが,端面から離れると,大きく3方向にビームが分かれた.一方,曲面ミラーから出力されるビームについても同様に細かい干渉パターンが見られるが,端面から約25 μm離れた位置で一旦3つのスポットにフォーカスする.更に端面から離れると再びビームが広がり,干渉パターンが現れる.

図3 擬似スタジアム型半導体レーザの発振特性.

 この実験結果を説明するためにレーザ共振器のモード計算に広く用いられているFox-Liモード計算法に側壁ミラーによる反射の効果を取り入れた方法を提案して数値計算を行った.図4は,計算で得られたビームのパターンを示している.実験で得られたビームパターンが数値計算で良く再現されている.更に,共振器内部におけるビームの伝搬を計算したところ,不安定な周期軌道に沿って光が局在することが明らかになった.このような局在は,共振器の中を伝搬する複数のビームの干渉によって生じていることを明らかにした.不安定周期軌道に波動関数が局在するモードは,量子力学の系でも見られておりScar modeと呼ばれている[1].このようなレーザの発振モードとScar modeの類似性は物理学の観点から興味深い[3].

図4 拡張Fox-Liモード計算法を用いて求めた出力ビームパターン.

 ここで紹介した擬似スタジアム型レーザ共振器のモード計算の結果は,米国光学会(Optical Society of America)のオンラインオープンアクセスジャーナルOptics Expressに掲載されており,レーザ端面から出力されるビームの伝搬をアニメーション(動画)で見ることができる[3].また、この研究成果は,IEEE Journal of Selected Topics in Quantum Electronicsのミレニアム号(2000年11/12月号)に掲載されたSiegman教授の解説論文「Laser Beams and Resonators: Beyond the 1960s」でも取り上げていただいた[4].

3.スタジアム型半導体レーザの発振特性
 図2に示した擬似スタジアム型半導体レーザの共振器形状は,図1に示したスタジアム形とかなり異なる.図1に示したスタジアム形(正方形に2つの半円を繋げた形)の共振器を有する半導体レーザの発振特性を調べることは学術的に興味深い研究課題である.
 そこで,株式会社国際電気通信基礎技術研究所と共同で図5に示したスタジアム型半導体レーザの発振特性を調べた[5].デバイスの製作には,NTTアドバンステクノロジ株式会社の半導体プロセスサービスを活用した.図6は,レーザ発振特性の一例を示している.しきい値電流は,約200 mAであり,レーザ発振を示す鋭いピークが発振スペクトルに現れた.遠視野像には,複雑な干渉パターンが見られるが,共振器の長軸方向で放射強度が強く,短軸方向で弱くなる結果が得られた.また,放射パターン(遠視野像)の包絡線が光線シミュレーションで上手く説明できることを示した.
 これらの研究成果は,IEEE Journal of Selected Topics in Quantum ElectronicsのNonlinear Optics特集号に招待論文として掲載された[5].我々の知る限り,これがスタジアム型レーザの発振特性を報告した初めての研究論文である.その後,材料や共振器サイズ,励起方法が異なるスタジアム型レーザの発振が複数の研究機関から報告されるようになり[6,7,8],スタジアム型レーザの研究が進む一つのきっかけになった.

図5 スタジアム型半導体レーザ.

図6 スタジアム型半導体レーザの発振特性 .

4.カオストンネル現象の観測
 本研究は,マックスプランク研究所の篠原晋博士(現:早稲田大学)が中心になって行われた研究であり,量子カオスの研究分野で注目を集めた.その内容について紹介する.
 図7に示した卵形の共振器には,左の図に示すように四角形の安定周期軌道(赤線)が存在する.ここで,安定周期軌道とは,軌道から光線が多少逸れたとしても,図中の青線の様に周期軌道から離れることなく近くを回り続けるような軌道である.また,この共振器には,右の図に示したカオス軌道(青線)も存在する.このように安定周期軌道とカオス軌道が混在する系は,Mixed Systemと呼ばれている.図7の左図に示した安定周期軌道の周りを回る光線と図7の右図に示したカオス軌道はお互い独立であり,光の伝搬を光線で考える限り,両者に結合はない.しかし,光の伝搬を波動で考えると,四角形の安定周期軌道の周りに局在した光のエネルギーの一部がカオス軌道に流れることが指摘されており,このような現象はカオストンネル現象と呼ばれている.

図7 卵形共振器の光線軌道.

 本研究では,このようなカオストンネル現象を実験により確認した.具体的には,図7に示した共振器を半導体レーザで製作して,四角形の安定周期軌道にビームが局在するモードを選択的に励起して放射パターンを測定した.四角形軌道の端面への入射角は全反射の臨界角を超えているため,四角形軌道に沿って伝搬するビームは,共振器の内部に閉じ込められる.したがって,カオストンネル現象が起こらなければ,反射点の外部に生じたエバネッセント波(表面波)が共振器の接線方向(図7(左図)の矢印の方向,すなわち,水平方向に対して±45°と±135°の方向)にわずかに放射されるだけである.一方,カオストンネル現象が起きれば四角形の安定周期軌道に沿って伝搬するレーザ光のエネルギーの一部がカオス軌道に流れる.この光は,共振器の中に広がり,やがて全反射条件を破って共振器の外に放射される.波動解析の結果から,図7(右図)に矢印で示すように水平方向に対して±90°の方向に指向性を持った放射が起きることが予想される.
 図8は,製作した半導体レーザの電子顕微鏡写真と放射パターンの測定結果を示している.四角形の軌道に沿ってビームが伝搬するモードを選択的に励起するために軌道に沿って電流を注入する領域(コンタクト領域)を設けている.放射パターンは,±90°の方向にピークを持っており,波動解析の結果と良く対応する.また,発振スペクトルには,四角形軌道の軌道長に対応する等間隔のピークが現れることを確認しており,四角形軌道に沿ってビームが伝搬するモードで発振していることも確認している.これらの実験結果から,カオストンネル現象が生じていると結論付けた[9].
 この研究成果は,2010年6月にNatureのNews and Viewsに掲載されたイエール大学Stone教授の解説記事「Chaotic Billiard Lasers」で紹介された[10].

図8 卵形半導体レーザの放射パターン.

5.謝辞 (所属と役職は2010年当時のものである)
 カオス共振器レーザの研究を始める機会をいただいたスタンフォード大学の故・Siegman教授に心から感謝致します.また,カオス共振器レーザの研究を共同で行ったNTTコミュニケーション科学基礎研究所の篠原晋博士,早稲田大学の原山卓久教授,金沢大学の砂田哲准教授に深く感謝致します.スタンフォード大学滞在中にお世話になったC. G. Fanning博士,Y. Cheng博士,Y. Sun博士,S. A. Biellak博士,研究を進める上でお世話になったパデュー大学のE. E. Narimanov教授,オットー・フォン・ゲーリケ大学マクデブルクのJ. Wiersig教授に感謝致します.最後に,様々なご支援とご協力をいただきました株式会社国際電気通信基礎技術研究所,NTTコミュニケーション科学基礎研究所,NTTアドバンステクノロジ株式会社の関係者の皆様に心よりお礼申し上げます.

6.参考文献
[1] M. C. Gutzwiller, Chaos in classical and quantum mechanics, Springer Verlag, New York, 1990.
[2] T. Fukushima, S. A. Biellak, Y. Sun, C. G. Fanning, Y. Cheng, S. S. Wong, and A. E. Siegman, Lasing characteristics of a quasi-stadium laser diode, Conference on Laser and Electro-Optics (CLEO’97) OSA Technical digest (Optical Society of America), paper CWF6, 1997.
[3] T. Fukushima, S. A. Biellak, Y. Sun, and A. E. Siegman, Beam propagation behavior in a quasi-stadium laser diode, Optics Express, vol. 2, no. 2, pp. 21-28, 1998.
[4] A. E. Siegman, Laser beam and resonators: Beyond the 1960s, IEEE Journal of Selected Topics in Quantum Electronics, vol. 6, no. 6, pp. 1389-1399, 2000.
[5] T. Fukushima and T. Harayama, Stadium and quasi-stadium laser diodes, IEEE Journal of Selected Topics in Quantum Electronics, vol. 10, no. 5, pp. 1039-1051, 2004.
[6] M. Lebental, J. S. Lauret, R. Hierle and J. Zyss, Highly directional stadium-shaped polymer microlasers, Applied Physics Letters, vol. 88, no. 3, pp. 031108, 2006.
[7] W. Fang, H. Cao, and G. S. Solomon, Control of lasing in fully chaotic open microcavities by tailoring the shape factor, Applied Physics Letters, vol. 90, no. 8, 081108, 2007.
[8] H.-G. Park, F. Qian, C. J. Barrelet, and Y. Li, Microstadium single-nanowire laser, Applied Physics Letters, vol. 91, no. 25, 251115, 2007.
[9] S. Shinohara, T. Harayama, T. Fukushima, M. Hentschel, T. Sasaki, and E. E. Narimanov, Chaos-assisted directional light emission from microcavity lasers, Physical Review Letters, vol. 104, no. 16, 163902, 2010.
[10] A. D. Stone, Chaotic billiard lasers, Nature, vol. 465, no. 7299, pp. 696-697, 2010.